文久元年(1861年)、皇女和宮がこの宿場に泊まりました。京都から江戸へ降嫁する行列は3万人。その一行がここ伏見宿に宿泊したのです。
中山道第50宿・伏見宿。本陣1軒・旅籠29軒。しかし現在、その面影はほとんど残っていません。国道21号の拡幅により古い建物の大半は失われ、車が行き交う幹線道路沿いの町になっています。
正直に書くと、「宿場散策」を楽しむタイプの宿場ではありません。しかし本陣跡の標柱の前に立ち、ここに皇女が泊まった事実を知ると、見える風景が変わります。160年前、この場所は全く違う姿だったのです。

伏見宿の基本データ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 宿場番号 | 中山道第50宿 |
| 日本橋からの距離 | 約353.5km |
| 所在地 | 岐阜県可児郡御嵩町伏見 |
| 本陣 | 1軒 |
| 脇本陣 | 1軒 |
| 旅籠 | 29軒 |
| 最寄り駅 | 名鉄広見線 明智駅(徒歩約10分) |
| 最終確認日 | 2026年7月 |
皇女和宮が泊まった宿場
1861年(文久元年)、孝明天皇の妹・和宮は14代将軍徳川家茂に嫁ぐため、京都から江戸へ向かいました。中山道を25日間かけて下る大行列は約3万人。その途中、和宮は伏見宿の本陣に宿泊しています。
幕末の動乱の中で行われた「公武合体」の象徴が、この小さな宿場を通過したのです。和宮の輿入れは中山道の歴史の中でも最大級の出来事で、各宿場に記録が残っています。伏見宿もその一つです。
現在は本陣跡に標柱と案内板があるだけですが、ここに皇女の行列が泊まったという事実は、通り過ぎるだけでは見えない宿場の重みを教えてくれます。
国道に消えた宿場の今
伏見宿は現在、国道21号が通る交通量の多い道沿いの町です。道路の拡幅により江戸時代の建物はほぼ失われ、「宿場町を歩いている」という実感は薄いです。
本陣跡
国道沿いに本陣跡の標柱が立っています。建物は残っていませんが、案内板に伏見宿の歴史と和宮宿泊の記録が記されています。立ち止まって読む時間は5分程度で十分です。
松屋山田家住宅
宿場内に残る数少ない歴史的建物です。旧旅籠の建物で、伏見宿がかつて旅人で賑わった時代の面影を伝えています。外観を見学できます。

旧街道の道筋
国道21号から外れた場所に旧中山道の道筋が一部残っています。国道と並行する細い道を歩くと、かつての宿場の道幅が体感できます。ただし距離は短く、すぐに国道に合流します。
補給とトイレ
伏見宿は国道21号沿いのため、補給環境は良好です。十三峠以降の山間部と比べると格段に楽になります。
補給:
・国道21号沿いにコンビニあり
・スーパー・ドラッグストアも利用可能
・飲食店あり
トイレ:
・コンビニで利用可能
・公共施設でも利用可能
・困ることはありません
宿泊情報
伏見宿周辺に宿泊施設は少ないです。通過して先に進むか、近隣の都市で宿泊するのが一般的です。
可児市方面:
・名鉄新可児駅周辺にビジネスホテルあり
・JR可児駅からも名古屋方面にアクセス可能
美濃加茂市方面(太田宿方向):
・太田宿まで約6km進むと美濃加茂市
・美濃太田駅周辺にビジネスホテルあり
アクセスとエスケープルート
最寄り駅:
・名鉄広見線 明智駅(宿場から徒歩約10分)
・名鉄新可児駅で犬山・名古屋方面に乗り換え
・名古屋から約1.5時間
注意:名鉄広見線(御嵩〜新可児間)は廃線が検討されています。利用する場合は運行状況を事前に確認してください。
管理人のひとこと
本陣跡の標柱の前に立ったとき、目の前を大型トラックが通り過ぎました。国道21号の風圧を感じながら、ここに皇女の行列が通ったことを想像するのは正直難しかった。
でもそれが「今の伏見宿」です。中山道69宿の全てが奈良井や妻籠のように残っているわけではない。国道に消えた宿場もある。それも歴史の一部だと思います。
松屋山田家住宅の前を通ったとき、ここだけ時間が止まっているように見えました。国道の喧騒から数十メートル入っただけで、旧街道の空気が残っている。その落差が印象的でした。
通過する宿場としての価値
伏見宿は国道21号に面した通過型の宿場です。歴史的な町並みは残っていませんが、皇女和宮の宿泊地としての歴史と、松屋山田家住宅という建物が、この宿場に立ち止まる理由を与えてくれます。
滞在時間は15〜20分で十分です。本陣跡の案内板を読み、松屋山田家住宅を眺めたら、次の太田宿に向けて歩き出してください。
関連リンク
・前の宿場:御嶽宿

・次の宿場:太田宿(鋭意作成中)
・前の区間:御嶽宿〜伏見宿

・次の区間:伏見宿〜太田宿(鋭意作成中)


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