舞阪宿から新居宿は、東海道五十三次の30番目と31番目の宿場を結ぶ区間です。
しかしこの区間は、現在も徒歩で直接歩いて渡ることができない特殊な区間です。
江戸時代には「今切の渡し(いまぎれのわたし)」と呼ばれる渡船が運航され、旅人は浜名湖を船で渡って新居関所へ向かいました。
1498年の明応地震で浜名湖と遠州灘がつながって以来、陸路が断たれたことで生まれた海上ルートです。
本記事では、今切の渡しの歴史と現在の渡り方、東海道歩きにおけるこの区間の位置づけを解説します。
本記事は実際に徒歩で通過した際の情報や作成時点での最新情報をもとに作成しています。本記事は区間内の実在情報のみを精査して掲載しています。
基本データ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 区間 | 舞阪宿 → 新居宿 |
| 距離 | 約4km(渡船距離・宝永地震以降は約6km) |
| 移動手段 | 渡船(江戸時代)/電車・徒歩迂回(現在) |
| 所要時間 | 渡船:約30分(江戸時代)/JR東海道本線:3分(現在) |
| 徒歩通行 | 不可(海上区間のため陸路なし) |
| 最終確認日 | 2026年7月 |
今切の渡しとは
今切の渡し(いまぎれのわたし)は、東海道の舞阪宿と新居宿を結ぶ渡船のことです。
もともと浜名湖は淡水湖で、湖から遠州灘までは浜名川が流れ、そこに浜名橋が架けられていました。
しかし1498年(明応7年)の明応地震と津波により浜名湖の開口部が決壊し、湖と海がつながりました。
この決壊した場所が「今切(いまぎれ)」と呼ばれ、以降は渡船でしか往来できなくなりました。
当初の渡船距離は27丁(約2.9km)でしたが、1707年(宝永4年)の宝永地震による津波被害で関所が西に移転した結果、航路は1里半(約6km)に延長されました。
東海道の正道(本街道)において、幕府が公的に設定した海上路は「今切の渡し」と「七里の渡し(宮宿〜桑名宿)」の2カ所のみです。
今切の渡しは七里の渡しに比べて距離は短いですが、浜名湖口の潮流が速く、天候によっては渡航が中止されることもありました。
歴史と変遷
■ 明応7年(1498年)
明応地震の津波により浜名湖の開口部が決壊。今切口が形成され、陸路が断たれました。
以後、舞阪〜新居間は渡船による移動が必要となりました。
■ 慶長5年(1600年)
徳川家康が今切口の渡船場に新居関所(今切関所)を設置。
箱根関所と並ぶ東海道の最重要関所として、「入り鉄砲に出女」の取り締まりが行われました。
■ 元禄12年(1699年)
高潮被害により渡船距離が27丁(約2.9km)から1里(約4km)に延長されました。
■ 宝永4年(1707年)
宝永地震の津波により関所が再度被災。翌年、現在地に移転。
渡船距離は1里半(約6km)にまで延長されました。
■ 明治以降
明治2年(1869年)に関所が廃止。
1888年(明治21年)に東海道本線が開通し、鉄道による移動が主流となりました。
現在は浜名湖口を直接渡る陸路は存在せず、鉄道橋(JR東海道本線)のみが両宿場を結んでいます。
渡船の仕組み(江戸時代)
■ 乗船場所
東から来る旅人は、舞阪宿の北雁木(きたがんげ)から乗船しました。
北雁木は雁木構造(石段状の船着き場)で、現在も石組みが残っています。
■ 下船場所
新居宿側では、新居関所の渡船場に到着しました。
下船後すぐに関所の取り調べを受ける仕組みです。
■ 渡船の所要時間
通常は約30分〜1時間程度とされています。
潮流や天候により大幅に遅延することもありました。
■ 渡船の運航
幕府の管理下で運航され、旅人は関所手形がなければ乗船できませんでした。
荒天時は「川止め」と同様に渡航が中止され、舞阪宿で足止めされることもありました。
現在の渡り方
現在、舞阪宿から新居宿へ直接歩いて渡る陸路は存在しません。
東海道歩きでこの区間を通過する場合、以下の方法があります。
■ 方法①:JR東海道本線を利用(推奨)
弁天島駅 → 新居町駅(1駅・乗車時間約3分・運賃190円)
最も効率的で、多くの東海道歩きの方が採用している方法です。
弁天島駅は舞阪宿から徒歩約10分、新居町駅は新居宿から徒歩約8分の位置にあります。
■ 方法②:弁天島経由で迂回(徒歩)
国道301号線を経由し、弁天島→新居町方面へ陸路で迂回するルートです。
距離は約6〜7kmとなり、旧東海道のルートとは異なりますが、徒歩で移動したい方向けの選択肢です。
歩道はありますが、交通量が多い区間を含むため注意が必要です。
■ 方法③:今切の渡し遊覧船(期間限定)
弁天島海浜公園から出発し、北雁木〜今切口〜新居関所を巡る遊覧船が運航されています。
江戸時代の渡船ルートを体験できる貴重な機会です。
10人乗り程度の小船で約30分のコースです。
運航は不定期・予約制のため、事前に弁天島遊船組合への確認が必要です。
荒天・強風時は欠航となります。
※渡し区間と異なる場合もあるので、あくまでアクティビティの1つと捉えましょう
見どころ
■ 北雁木(きたがんげ)/舞阪宿側
今切の渡しの東側渡船場跡です。
雁木構造の石組みが浜名湖畔にそのまま残っており、当時の旅人が船を待った場所を体感できます。
舞阪宿の西端に位置し、宿場散策の締めくくりとして立ち寄りやすいです。
■ 新居関所渡船場跡/新居宿側
渡船から降りた旅人がすぐに関所の取り調べを受けた場所です。
新居関所の構内に復元整備されており、関所見学と合わせて確認できます。
■ 今切口(浜名湖開口部)
浜名湖と遠州灘がつながる場所で、明応地震で形成された地形です。
遊覧船を利用すると間近で見ることができます。
潮流が速く、渡船が困難だった理由を実感できます。
■ 歌川広重「東海道五十三次 荒井」
広重は新居宿(荒井宿)の浮世絵で今切の渡しを描いています。
渡船から浜名湖越しに見る景色が題材となっており、現地で同じ方向を眺めると当時との対比を楽しめます。
東海道歩きにおける位置づけ
今切の渡しは、東海道歩きにおいて「歩けない区間」として知られています。
同様の区間としては桑名宿〜宮宿間の「七里の渡し」がありますが、今切の渡しは距離が短い分、行程への影響は小さいです。
多くの東海道歩きの方は以下のように対応しています:
・JR東海道本線で1駅移動し、新居宿から歩行を再開する
・弁天島経由の迂回路を歩く(旧東海道ルートではないが「全区間徒歩」にこだわる方向け)
・遊覧船で当時の渡船ルートを体験する(時間と予約の余裕がある場合)
いずれの方法を選んでも、舞阪宿側の北雁木と新居宿側の関所渡船場跡は必ず確認しておくことをおすすめします。
渡船場を見ることで、この区間が「歩けない理由」を歴史的に実感できます。
区間評価
| 項目 | 評価 | コメント |
|---|---|---|
| 総合難易度 | ― | 徒歩区間ではないため評価対象外です |
| 歴史的価値 | ★★★★★ | 東海道で唯一の渡船区間。日本唯一の現存関所とセットで最高評価です |
| 見どころ密度 | ★★★★☆ | 北雁木・今切口・関所渡船場跡が凝縮されています |
| アクセス利便性 | ★★★★★ | JR1駅(3分)で移動可能。行程への影響は最小限です |
| 体験価値 | ★★★★☆ | 遊覧船を利用すれば江戸時代の渡船を追体験できます |
管理人のひとこと
北雁木に立って浜名湖を眺めると、当時の旅人が船を待ちながら感じたであろう不安と期待が伝わってきます。
対岸が見えるようで見えない距離感。荒天なら足止め。関所では厳しい取り調べが待っている。
江戸時代の旅がいかに緊張を伴うものだったかを、この区間で実感しました。
JRで3分で渡れる現代のありがたさを感じつつ、新居関所に着いたときには「関所を無事通過できた」という不思議な安堵感がありました。
まとめ
舞阪宿〜新居宿(今切の渡し)は、東海道でも数少ない渡船区間です。
1498年の明応地震で浜名湖と海がつながったことで生まれた海上ルートで、江戸時代の旅人は約4〜6kmを船で渡りました。
現在は徒歩で直接渡ることはできませんが、JR東海道本線(弁天島駅→新居町駅・3分)で簡単に移動できます。
北雁木(舞阪宿側)と新居関所渡船場跡(新居宿側)を確認することで、この区間の歴史的意味を体感できます。
東海道歩きの中で「歩けない区間」を知ることは、街道が自然災害と共に変遷してきた歴史を理解する上で重要です。
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関連リンク
・出発宿場:舞阪宿

・到着宿場:新居宿

・前の区間:浜松宿〜舞阪宿

・次の区間:新居宿〜白須賀宿




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